母との別れは突然やってきた
もう2年が経ちました。あの日は湿気もなく、朝から初夏の気持ちよい天気でした。
1週間くらい前から少し筋力が落ちて、また自転車に乗れなくなっていました。それにともない、食事の量が減り、昼寝の時間が増えてお風呂でうとうとすることもあり、心配することが増えてきたのを思い出します。
最後の食事は、あまりお腹が減っていないと言うので、私の作った焼きそばを小さなお皿によそって一緒に食べたものでした。それから2,3時間して眠るように…
あの日のことを思い出す日も思い出さない日もありますが、バラが咲く季節になると溢れるように記憶が蘇ってきます。梅雨に入ると、涙が止まらなくなることもあります。でも、これが当然なのかな。
またこの悲しみがやってくるのか…
いつかまた母と同じように父も、そして私もオットも大切な友人たちも平等にこの日が訪れます。2年ほど経つでしょうか。父の食欲がすこしだけ無くなり、同時に散歩の時間が短くなりました。そんなこともこの時期に重なり、余計に涙が出ることが増えてしまうのでしょう。また復活してくれることを祈って。
感情に左右されないで自分のことだけを考えて前に向かえるひとは、強いなと思います。わたしには真似はできません。なぜなのか…答えの出ない問いをよくしますが、やっぱり答えは出ない、笑 それが私らしいってことなのかなと、結論を出しています。でも、またなにかがあれば、自分に問う日がやってくるのです。哲学や心理学を好むのはこのためなのでしょう。
自分のピアノに涙が出そうなときがある?!
音楽仲間たちと定期的に開いているコンサートですが、前回と同じ曲を演奏することにしました。これで3回目。聞くところによると、プロは一曲を100回は練習して本番に臨み、3回くらい本番を経験してやっと自分のものになってくる…らしいです。100回の練習は質の高いものなのでしょうが、圧倒的な練習量に衝撃を受けました、笑 ということで、私も好きな曲だけは真似をしてみることにしました。
ピアノを習い始めてからずっと言われ続けていることを、最近やっと理解できるようになりました。やっと…ね。教わってないではなく、教わっていたのに実現できる意識と能力が不足していたということですね。
昨日で70回。本番のように練習をして、本番は練習のように。『今日はこんな風に弾いてみよう』『ここに気をつけて弾いてみよう』。そんなことを決めて集中してから通して弾くことにしました。どこまで効果があるのかは分かりませんが、時々グッときて涙が出そうになることがあります。上手い下手(わたしはこっち…笑)の問題ではなくて、この曲の美しいメロディとわたしの感情が調和しているからなのではないか?メロディをしっかりと歌えているからではないか?そんな風に考えられるようになりました。まぁ、いかにいままでの練習が適当だったかがわかりますね〜汗
この曲に想いを込めて
この2年、色んなことがありました。そして、日々歳を重ねることで楽しいことだけではない悲しみや心配ごとが増えていくでしょう。いまの私があるのは音楽仲間たちとの出逢いがあるから。大きな影響を受けています。サヨナラをしなければいけないことも…出逢えた喜びと別れの悲しみをイメージして演奏したいな。感謝を込めて。
経験がひとを、そして演奏を変えていく。これがいまの結論です。
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