【父の闘病生活】父の通院・帯状疱疹が落ち着く/包括センターからケアマネジャーが来る

両親とのわかれ・介護

医師の言葉に安心する

帯状疱疹と診断されてから2週間が経つ。いつもの通院とは別に、追加で皮膚科を受診した。発症から1か月以上が経過しているが、まだ脇の下あたりがよく痛くなるようだ。本人曰く、『峠を越えた』そうだ。1週間くらい前から痛み止めの薬を飲まなくなった。水泡が擦れてしまって深い傷になってしまったが、感染を抑える薬を付けてかなり良くなっていた。

それにしても、わたしは傷や血が苦手なのでどうしても直視ができない。いままでは何とかなってきたが、これからも大丈夫なのだろうか…。不安になってきた。

診察で医師に『どうですか?』と聞かれた。だいぶ良くなっていると。具体的に言うと、傷の範囲が狭くなってきて痛み止めも飲んでいない。そう伝えると、傷を見て『おお。良くなっている。』と。若い医師だがこんな反応をしてくれるものなのね。とてもうれしい。何せ病院に行かないので、よくわからない、笑 

塗り薬はもう必要ないと、そして通院もこれで終わりになった。あとは、帯状疱疹の痛みが完全に収まるのを待つのみ。

包括センターからケアマネジャーが来る

『要支援1』がついた父のために何ができるか、包括支援センターの役割やサービスを聞きたく来てもらった。いままでお会いした数名のケアマネジャーたちは、当たりが柔らかくおだやかで安心できる方々だった。そういう方が選ぶ仕事なのか、そういう仕事をしているからそうなるのか。どちらも言えることなのだろう。

『要支援1』は、週に数回の通所、介護支援、支援グッズのリース・購入などを点数(金額)の上限が決められている。いまのところ生活は自立をしているので必要なものはなかった。一番最初に体調が悪くなったときのようになったら、どんな支援が必要かを考えた。また、本来の病気とは異なる『帯状疱疹』で背中にできた傷のガーゼ交換をするのに、わたしもオットもいないときは看護支援制度が受けられるものなのか?と質問ができた。オットはヘルパー資格保持者なので、知識が豊富にある。知識だけでなく行動もできるひとなので、とても頼りになる。わたしはこういうとき使いものにならないのだ。

短い時間だったが、わかりやすく説明を聞けて安心ができた。サービスを利用するのに自治体との契約をしなければならないことや、必要日数がわかった。なんとかカバーできそうな気がしてきた。

できるときにやりたいことをやっておく

姉と話をしていて、やりたいことはやっておかないとね!と確認をする。お金があっても、行かれるタイミングじゃないと旅には出られない。自分の足で歩けなければ、旅に制限がかかってしまう。だから、できる限りいまできるのであればやっておくこと。心からそう思う。



小さな森の中を歩くのが大好き。こんな場所が近くにあったらいいな。






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