【父の闘病生活】大学病院の通院日

両親とのわかれ・介護

1か月ぶりの大学病院へ

通院というのはこういうものなのか。半月ごと、1か月ごと、3か月ごと…。わたしはこういった継続性のある通院をしたことが無かった。母はしていたようだが、自立していたのでわたしは付き添っていない。数値をチェックして、いわゆる『薬をもらいに行く』ということなのだろう。

この大学病院は7月にコロナ感染が広がり面会中止となっていた。今日もまだ面会が中止のようだ。仕方のないことだが、経験があるわたしなので入院されている方と身内のことを思うと切なくなる。

今日の検査はふたつ。

  • 血液検査
  • CT

いつもの血液検査と、4か月ぶりのCTを撮った。ヘモグロビンの数値は問題なく安定している。血小板は11万程度。1か月前から4万くらい減少している。そして、LDHの減少により『溶血』をしていることがわかった。これは、薬を減らしたことによるのではないか?という見解だった。

懸念していた『脾臓の腫れ』『リンパの腫れ』だが、こちらはわたしの見立てでは1/3くらいに小さくなっていた。あれだけ体積を占めていたものが元に戻るなんて…不思議なものだ。薬のおかげで落ち着いたということなのだろう。

病院…そこでも笑いがある

父にあってわたしに無いもの。それは、笑いだと思う。その部分は、母に似た。入院していたときも楽しそうな話を看護師としたと聞いたし、今日も採血をしてくれた看護師と何かを言って笑わせていた。それから、自分の病気を、いまをそのまま受け入れることに長けているのだろう。これは母もできていたように思う。しかし、わたしにはなかなかできない。なぜだろう…。身近なお手本を見てならっていけいけということだろうか。

15歳のときから人生の軸としてきた、登山はもうできないだろう。それを思うと、娘としては哀しみしかない。しかし、1日1日自分のなかで消化しているように見える。昨日、自宅の近くで救急車が止まった。父が『ご近所はおれだと思っただろうなぁ』と言った。そんなことを考えているのか。

姉が言っていた。『風のようにサッと逝ってしまった母のときよりも、辛いね』と。考え方は色々とあるが、どうなってしまうか分からなかった4か月前にわたしもそう思った。ただ、もう一度元気になってくれたことで父もわたしたちも、新しい歩き方を模索できている。父はどう思っているか分からないが、わたしはそれをうれしく思う。

帯状疱疹の痛みが和らいでくれれば、もっと外に出かけたいのだろう。今日は階段を使ったり、少し長い距離を歩いたり楽しそうだった。

そんな父を見ていた姉夫婦が、帯状疱疹のワクチン接種をすると言っていた。わたしも対象年齢になったら、考えることにする。それ以外に予防はできないし、症状にばらつきが多く判断が遅くなるケースがあると聞く。なかなか恐ろしいものだ。

次は1か月後。薬の量が若干減って良かった。すこしずつ、すこしずつね。

帰りにオットと父と3人でおいしいハンバーグのランチを。外食をほとんどしない父だったから、たまにはいいよね、こういうのも。



父の好きな羊羹を買おう。わたしがほとんど食べることになるけれど…笑。

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病院の待ち時間に本を開いたが…眠気に襲われてしまった、笑



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