この数か月で色んなことがあった。小さいもの、弱いもの、子どもや動物などに涙することは多いが、強いものや自分の親に涙をすることはあまり多くないのではないか?そんなことを考えた。
特にわたしはずっと親元に暮らし、いまでも同居をしている。だから物理的に離れるさみしさを経験していない。だから、急にやってきた母との別れが最初だった。それがまたひたひたと近づいてきている。
そばにはオットがいる。友人たちがいる。わたしの近くにいてくれるその人たちを見て、母は安心して行ったのだろう。父もきっとそうである。出会いと別れの循環。こんなことを言うのではないか。
友人たちへ
今日、医師と話をしてきた。検査結果はまだだけれど、恐らく悪性の腫瘍であろうと聞いた。これが悪さをして貧血に繋がっているという仮説が立てられている。結果が出たら、おやじに話をして希望を聞いて今までどおりの治療に止めるか、新たな治療をしていくことになる。いまのところは1月末の退院を目指す予定。けれど、おやじのいまの年齢、体力を考えて強い薬は使いにくいし、肺炎や感染症にかかるリスクもある。それも踏まえて、大体の生存可能期間を聞いてみたら、もって1,2年、治療を施さなければ数ヶ月。10年は厳しいだろうと。そして、緩和ケアなども含めて最期までいまの病院にお世話になるという計画。
さすがに命の期限を聞いたらいたたまれなくなったけれど、これもおやじの人生。いままでどれほど楽しく生きてこられたか。そのうちのたった半年、数年が辛いだけで済むなんてあっぱれだと思う。おやじを見送るまで、わたしも一緒に歩きます。弱音を吐くかもしれないけれど、そのときは話を聞いてね。
このときのために、みんなに出会ったのかなって心から思います。ありがとう。
生きている限り、何があっても抗えないのがいのちの期限。それとどう向き合うか。そして、その日が来るまでどのように生きていくか。それは、ひとりひとり異なること。自分で選択できることである。
いまわたしが友人たちにできることは何か?40代ともなれば、誰もが経験をする親との別れが近くなってきているが、少しだけ先に経験をしている。その思いや行動を伝えていくことかなと思った。今回のことで私も諸先輩方からたくさんのアドバイスをもらい優しく見守ってくれているから。
ところで、わたしは父のことを、おやじと呼んでいる、笑。こう呼ぶまでには、色んなことがあり『おとうさん』とはならなかった。そのうちこんな話も綴っていきたい。
コメント