【両親とのわかれ・介護】新盆でも墓には行かない

両親とのわかれ・介護


父の新盆であった。3年前の母の新盆と同様、特に何もしない。『真言宗』として供養してもらい墓には入ったが、その後は何もしない主義である。納骨の日以来、わたしは墓参りに行っていない。姉家族、母の友人、父の友人たちが何度も墓参りに行ってくれた。でも、わたしは一度も行っていない。実家暮らしをしていたし、結婚してからもオットが一緒に住んでくれて、お墓よりもこの家のほうがわたしにとっては気配を感じられるから。

両親より少し下の年代の方々に話したが、様々な反応だった。

  • 迎えに行かないの?
  • 家がわからないんじゃない?
  • うちも似たようなもんだよ

こんな感じだった。家がわからないのでは?という心配に、父はおそらくこの家がわかると考えている。なんとなくそんな気がしている。別にうちに帰って来なくても、新たな世界でたのしくしていたらいいのではないか?生きているわたしたちが忘れなければいいのではないか?こんなところでも、わたしの自由な発想が出てしまう。

父も母も、御布施にお金を使うくらいなら、みんなで美味しいもの食べて~って考えてくれるだろう。このお盆は、両親にとっても娘のようなわたしの友人や、姉家族と一緒に食事をした。わいわい飲みながら食べながら。きっと、安心して微笑ましく眺めていると思う。わたしの勝手な解釈ではあるが、それを良しとしてくれるであろう両親の元に生まれてきて心から良かった。カタチばかりの行事は好きではないから。

仏壇に花やおいしい果物を供えて手を合わせる。友人たちが美味しいものを持って訪ねて来てくれる。ビールを飲みながらいつものように笑い話をする。それだけでわたしは幸せである。幸せなわたしを見て、うなづいているだろう。

1年前。父は1か月入院していた。病院で感染症にかかっても、熱も出ず元気にベッドの上でトレーニングをしていた。元球児の看護師と高校野球の話で盛り上がっていたそうだ。隅から隅まで新聞を読み、マニアックな情報を仕入れてわたしたちを笑わせた。食べさせてあげられなかったおいしい梨は、今年も買って供えた。きっと喜んでくれただろう。

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