会社を40代で早期退職してから、3年が経つ。いまやっていることを話すと、よく言われることがある。
『丁寧な暮らしをしてるって感じでいいよね。わたしもやりたいなー』
丁寧な暮らしって、なに?!なんなの?!
わたしが働いていたときは、丁寧な暮らしなんて言葉を耳にすることが無かった。子育てをしながら残業もこなしている母たちがたくさんいたし、暮らしと対極にある『労働』の相談をしていたからかな。
はるか遠い世界だと思っていた。
はるか遠いと思っていたのは、もう一つ理由がある。私は実家住まいだったし、結婚したらオットがマスオさんをしてくれた。料理も掃除も洗濯も!母がやってくれていた。しかも、弁当も作ってもらっていた、笑。風呂掃除やガラス掃除、大掃除は父が張り切ってやっていた。だから、家事とは縁遠い生活をしていた。うらやましいとよく言われたけれど、何もできないひとになってしまった、笑。あ。友人たちが集まるときは、朝から和洋折衷6、7品を仕込んでいた(母と一緒に…笑)。
頼りにしていた家事のプロである母が亡くなり、わたしがやることになった。父は風呂掃除や大掃除、庭いじりはつづけてやってくれて、朝昼の食事はいままでどおり自分で作っていた。そんな父は1年前にこの世を去った。
この3年ですっかり忘れていたけれど、以前はそんな生活をしていた…。あの仕事をつづけられたのは、家事をしないでいられたから。両親がいてくれたから。ありがたいものを失ってしまった。でも、いつかはそんな日が来るわけだし、いまは切り替えてその生活をできる限り効率よく楽しんでいる。
話はもどるけれど、『丁寧な暮らし』とはいったい何なのか?昆布かつおの出汁を取ることか、レトルトや冷凍食品を使用しないことか、調味料にこだわっていることか…いったいなんのことなのだろう。そんなことなら、多くの働くひとがやっていることである。実際に、元同僚たちには似たような話をたくさん聞いていて、『えらいなぁ、わたしにはできな~い』と返すのがお決まりだった、笑。
わたしは思う。何ごともモデルが必要なのではないか?と。ゴールと目的ともいう。習いごとも勉強も遊びも、そして仕事も。旅にもね。『ただやる』『言われたからやる』『誘われたからやる』ではなく、それをする意味と何を得たいのかを考える。
話は逸れるが、わたしは映画が好きである。といっても評論家ではない。好きな映画を何度も何度も何度も!観る。観るというよりBGMのように流すときもある。テレビは要らない情報も耳に入ってしまうからストレッサーになるし、映画音楽が好きだからなのかな。わたしの価値観が大きく変わったある映画がある。1回観て変わったわけではなく、『あ。あれ観たいな~』と思って見つづけているうちにいつの間にか大好きになった映画。ロケ地めぐりなんてことはしない派だけれど、あの島の空港には降り立った。感無量だった、笑。
その映画はメタファーのようで、『過去のわたし』と『いまのわたし(恐らくなりたかったわたし)』が描写されている。いつの間にか、その主人公を見てニヤニヤしている自分がいる。『あーわたしもこうだったなぁ、若かったなぁ』と。自分を客観視できたことで、求めていることがよく理解できた。そして、いまがある。
『丁寧な暮らし』。どんな暮らしをイメージしているのか?自分を振り返ってみてオリジナルで考えてみることが、第一歩だと思う。WEBやSNSで得られるイメージがあるが、鵜呑みにしてはいけない。だって、本当かどうかわからないし、他者と自分は価値観や生き方がちがうから。何ごとも自分で主体的に考えること。これが大切だと信じている。
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