【父の闘病生活】その1・症状が出る〜入院まで

両親とのわかれ・介護

今日は『エバンス症候群』と診断された、父の初期状況から3か月間のプロセスを書こうと思う。まとめてみようと考えたのは、病院に慣れていない父とわたしが苦しい思いをしたから。ケースバイケースになるのだろうが、父の場合はこうだったとして記録をすることにした。

症状に気がつく〜初診〜入院

異変を感じたのは6月の初旬。わたしはいまどこの組織に所属をしていないので、基本的に家にいる。父は81歳だが、驚かれるほど活動的である。父がやっていたことは、こんなこと。

  • 自分の朝ごはん&昼ごはんを作る
  • 風呂掃除
  • 買い物
  • 植木の水やり
  • 洗濯のたたみ(乾燥機から出すところから)

日課もある

  • 毎日3時間以上の散歩(時には6~7時間の遠出もあり)
  • ニュースを見ながら食事
  • 昼寝
  • 夕方のドラマを観る

こんな感じで、ほぼ働いていないわたしと同じ。わたしより運動量と作業量はかなり多い。あ。これに予約した本を図書館から借りてくる+返すのも時々ある(すべてわたしが予約した本…笑)

そんな父の様子が変わったのが6月。オットとわたしのランチを作ろうとキッチンにいたのだが、父が散歩+買い物から帰ってくる時間が少しずつ早まってきた。あれ?と不思議に思っていた。それが続いてきたので、『最近、早くない?』と聞いたら『少しかったるい』と言っていた。それでも散歩はつづいていた。6月17日(土)は誕生日会をわが家でやった。友人たちが数名来て、料理をふるまった。いつも一緒にわいわい食べて飲んでだったが、その日は『ちょっとかったるい』と畳の部屋に寝転んだ。取り分けた料理はほとんど手付かずだった。友人からは『食欲少し無かったね』『寝転がるお父さんはじめてみた』と心配のLINEが入った。

6月中旬には、わたしはひとり旅で家を空け(那覇日帰り、笑)、誕生日にはオットと友人宅へお泊り。そのときにはかろうじて買いものをして食事をしていたのだろう。そこからあっという間に、変化をしていった。

  • 外に出なくなる
  • トイレ、風呂、ダイニング以外は歩くことが無くなった
  • 楽しみにしているドラマは観ていた
  • 椅子に座っていてもかったるいという
  • 買い物、洗濯たたみ、その他一切の家事ができなくなった
  • 2階に上がることも無くなった
  • コップを持つ手が震えるようになった
  • 食欲が落ち、座ってもなかなか食べ始めず『昼でいいや』と言う
  • 真っ黒に焼けた肌の色が、黄色っぽくなった

『病院に行こう』と言って日時を決めたのだが、かったるくなってしまったのだろう。もうちょっと様子を見ると言い行くのをやめた。このときに無理やり連れて行くのがよかったと、わたしは後悔をしている。

とにかく原因はわからない。以前に一度似たような状況になったが1か月くらいで元にもどったので、それに期待しているわたしがいた。元気づけてもらおうと、わたしの友人に遊びに来てもらうことにした。しかし、明らかに調子が悪くなっていくので延期をしてもらうことにした。『病院行った?車出そうか?』そう言ってくれた時にわれに返った。やはり通院しないとだめだと。

翌々日に近所の総合病院へ行った。タクシーを呼び、ひさしぶりに外に出た父はうれしそうだった。歩けないかと思ったら、車いすは要らないと。他者の目があるとひとはがんばれるのだと思う。検査は、血液×3回、CT×2回、そして診察。黄疸がかなり出ていたようで、『かゆくない?』と医師や看護師から何度も聞かれた。そして、ヘモグロビンの数値が低すぎて、早い段階で『緊急入院』になると知った。ぐったりしている父には、そのことをなかなか言い出せなかった。

カラっとしていたが晴れた猛暑日だった。結果的に病院にいたのは、7時間。父もわたしも入院なんて考えもしなかったので、エアコンは付けたまま家を出た。父は途中から車いすに乗りたいと言った。わたしも先行き見えない不安もあり心身ともにクタクタだった。

診断は『貧血』。入院手続きをして入院病棟へ向かうと、すでに輸血をはじめていた。これで元気になってね。

オットが早退してきてくれた。タクシーがなかなかつかまらず、夕焼け空に向かってクタクタの身体で無言で家まで歩いた。食欲も無かった…

涙があふれて止まらなかった。

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