【おかね&はたらく】18年来のキャリアカウンセラー資格を手放す

おかね&はたらく

20年間つづけた転職支援


ひさしぶりに、はたらくことについて書こうと思う。20年にわたり、転職支援をしてきた。求職者は何らかのきっかけがあり訪ねてくる。その『きっかけ』を聞き、これからの希望を聞き、世の中の情報と照らし合わせる。きっかけはひとそれぞれである。

  • いまの会社がいやだ
  • いまの業務がいやだ
  • 給料に満足していない
  • 福利厚生を充実させたい
  • このままでいいのか不安である
  • 会社の将来が不安
  • 先輩がいやだ
  • 上司がいやだ
  • 後輩がいやだ
  • 同僚がいやだ
  • 飲み会がいやだ


この辺がよくある『きっかけ』である。それぞれである。中にはこんなものもある。

  • 離婚をしたから働かないといけない
  • 離婚をしたいから働きたい
  • 組織の不正に加担させられるのがいやだ
  • 夫の転勤で転職しないといけなくなった


思い出せない内容もたくさんある。しかし、わたしの経験値ではこんな風に分けられる。

  • 人間関係:70%
  • 本人の問題:20%
  • 会社の問題:10%


つまり、会社の人間関係に由来するものがほとんどである。人間関係が円滑であれば、本人の考え方が変わる。そうすれば、『夢』を追うより『現状維持』を選ぶ。『会社に不満』があっても、『居心地』を選ぶ。だから、表面的な話を聞くだけではなく、深く深くそのひとの価値観を探っていく。探った価値観を本人に伝えることで、自覚をうながす。そうすれば、衝動的な行動を抑えて冷静に自分の道を考えられるようになる。そして、見守る。時には、決断をうながす。

本人が自立的にコミットする。このプロセスを、時には勢いをつけて、時には根気強くサポートをするのがたのしかった。


はたらきながら学びつづける

多くの方と話をしてきた。『はたらくこと』はひとそれぞれの価値観に基づいている。それを知ることが面白くてならなかった。キャリアカウンセリングの理論を学びたくなった。その時のベストを選択できるような支援を理論だてること、自分のキャリア選択を考えることを目標とした。スクーリングを数十時間、試験を経て合格をした。合格はスタートラインである。一定期間で特定領域の学習を義務付けられているため、学びたい分野を追求していく。自らの学びの場は、多くの出会いがあった。

2021年に会社を辞めた。さて、これからどうしようか。のんびり構えていまにいたる。前職とおなじことはいつでもできると思っていた。しかし、いまはおなじことをすることに興味を持てなくなった。20年間はとにかく目まぐるしい毎日だったから、いまはのんびりと自分の本能に赴くままのんびりとやっている。それでいいのだ。

ふと、この継続の学びを止めたくなった。この資格に求められているのは『組織ではたらくひとの支援に必要な知識』が中心になっている。わたしは、組織ではたらくことに興味を持てなくなったから会社員を止めたわけである。組織ではたらきたいひとは、支援が世の中にたくさんあるからそちらに行ってもらうのでいい。業務独占資格では無いから、資格が無くても経験があれば報酬は得られる。漠然としているが、退職する前からマイノリティの支援をしたいと思っていた。わたしの『早期退職』という選択は、十分にマイノリティである。会社勤めの友人たちはみな、60歳まで継続する予定でいる。『早期退職』を見かけるようにはなったが、世の中のスタンダードにはなっていない。

そんなことをのんびり考えていたとき、資格を手放そうかな…と友人に話をした。外資系で経験を持つ友人は、『元外資系勤務』とうたって英会話教師をやっているという。経験があるわけだし、資格は無くてもよくないか?と言われてピンときた。

わたしのメンターである友人に話をしてみた。友人のなかで、最もポジティブなひとである。『いいと思うよ。また必要になったら取ればいいじゃない。』と即答。賛成はされると思っていたが、『また取ればいいじゃない』…。あのハードだったトレーニングが浮かんだ。そう来たか!笑。まぁ、そうよね。考え方にいつも驚かせるし、的を射ているからすんなり入る。


決め!!!

この言葉、懐かしいな。口グセのようによく使っていた。即決するのがわたしの得意技だった。ウジウジ悩むこともあるけれど、基本的には即決派。最近、この感覚が衰えていなのか、即決する必要が無かったのか。思い出してよかった~♪

というわけで、18年継続していたキャリアカウセラー資格を手放すことにした。分厚いテキストとノートと『逐語録』記録を捨てた。その代わりに、『いま』興味あることを学んでいこう。のんびりとでも、道は拓けるはず。

あたらしいこと=たのしい

遊びに来た友人が大きな選択を迫られている。会社組織の大きな変革は、会社員である以上逃れられない。わたしは何度も経験している。しかし、入社してからずっと変革が無かった場合、戸惑うのは当然である。しかし、そのままでいたら時代から取り残される。だから、のんびりした組織がやっと立ち上がったわけだ。友人は不安をたくさん口にしていた。しかし、周りの言葉がさらに不安にさせてしまっていると感じた。周りは周りである。自分の選択が結果的にどうなるかはわからないが、周りが根拠ない仮説で口にしていることに惑わされないようにしたい。どこに行こうが苦労は付きものであり、それを嘆いてやる気を失うか、目の前のことを一所懸命にやっていくかの二択である。自分はどちらでありたいか。その選択だと思う。そんなことをざっくばらんに話した。

友人の自己評価があまりにも低いので、わたしはプロとしてどう見えているかを伝えた。40年以上生きてきても、迷うことはある。意識していないだけで、自分の生き方は出来上がっている。そこに想定外の横やりが入ることはある。わたしはそれを『出会いのチャンス』だと思っている。ひとかもしれない、自分にぴったりの何かかもしれないし、それはやってみないとわからない。だから、新しいことをやっていくことは学びである。

ピアノで言えば、新しい曲を弾くこと。いままで出てこなかった指づかいや練習方法に出会う。散歩なら、新しい道を行けばちがう景色がそこにある。旅なら、新しい国で食べものや文化、においを感じる。そこにワクワクがついて回るのではないか?

はたらくことも、そんな風に捉えられたらいいね。できない業務は何もない。やるか、やらないか。それだけ。友人に伝えながら、わたし自身に言い聞かせてみた、笑。



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