【おかね&はたらく】40代で退職を決めたきっかけ

おかね&はたらく


40代で早期退職をしました。20代から組織ではたらき、40代で会社員をやめたわたし。退職を決めたきっかけはいくつかあるので、その話を。


気持ちの変化があった30代

20代のころは所属企業の事業に疑問を抱くことは無かった。むしろ、自分の担当業務を必死に効率よくこなし、仕事帰りもしっかり楽しむということをやっていた。それができた企業であった。20代後半に転職した企業に20年もいたが、ひとつひとつの業務にむずかしさと結果が出た喜びを感じていた。

35歳のときに初めて疑問を抱いた。何に疑問を持ったのかと言うと、『はたらきかた』である。とにかく常に時間と数字に追われている状況で、10年間で膀胱炎に3回かかった。残業つづきで仕事帰りは友人に会うことはあきらめた。20時21時に終わってから同僚とやきとりかラーメンを食べて帰るというのが常になっていた。やきとりとらーめんは飲んで食べてサッと帰れるから。イタリアンやおしゃれなお店に行こうなんて、考えたことも無かったな。

ハワイにいる友人をたずねた夏休み。彼女のボーイフレンドと3人で世界一のビーチに連れて行ってくれた。あのサンライズを見たとき、こんな近くにある自然の美しさを何年もわすれていたと感極まった。わたしは、大好きな旅行を2か月に1回程度はしていた。飛行機で2日間。もしくは金曜日から3日間。とにかく回数は行った。しかし、到着して夜になってもリフレッシュができていないことがある。会社を思い出すから。あ、あの件どうなっているかな。あの人から連絡来ているかな。だから、旅をしていても気持ちが休まることは無かったと振り返る。ましてや、早朝に出て羽田に向かい翌日の夕方前には羽田に戻るというスケジュールなので、身体が休まっているわけではない。あのころは、会社から逃避することが目的になっていたのだろう。寂しい時間を過ごしてしまったなと思うことがある。

そんなことを考えながら10年間を過ごした。40歳で結婚をして『生き方』に変化があった。ハワイで感じたモワモワとした感じが和らいだ。どれほど気を張って生きてきたのだろうとはじめて自覚をした。結婚をしても、ひとりになる可能性はある。しかし、100でいなければいけない思いを50にしてもいいんだと思えることで肩のチカラを抜けるようになった。わたしの幸せのひとつがここにあった。

いくつもの出会いがあった40代

40代は『何かあったら辞めればいい』と思いながら働いていた。忙しさやストレスは変わらないものだが、そういうものだと思い込もうとしていた。しかし、顧客と向きあう仕事は変わらず魅力があった。そして、同僚たちにはとても恵まれた。相手を慮り尊重し、すすんでサポートができる人たちの集まりだった。足を引っ張り合うようなことはほとんど記憶に無い。まぁ、そういうヒトがいないわけではないケドネ、笑。

5年くらい前に出会った考え方が3つあった。

1つは、定年女子トークというサイト。いくつかのイベントに参加した。『定年』に向けてどのように考えて行動していくか?を学んだ。わたしは参加者の最年少であり唯一の40代だったので、皆さんにおどろかれた。話題は『再雇用』か『独立』かという二択。わたしはこれを58歳あたりで考えたのでは遅すぎると思っていた。代表の方は50歳で会社員を止めて独立された。そんな流れをモデルとしてもいいなと感じたので、お誘いしたら快く貴重な話を教えてもらった。

どうする?どうなる?定年女子トーク
「定年女子」が 気になること、気にした方がいいこと、お役立ち情報などをお届けしています

2つ目は、皆さんご存じ『両学長』。お金の考え方について学んだ。ほとんどいないと思うが、わたしはすべての動画を観た。毎日毎日、繰り返し繰り返し観た。いまの『適切なお金の使い方』に行きついた。お金の話はまた別で書いていきたい。『あなたはムダ遣いばかりして…』と子どものころから言われて若いころは散財三昧だった。そんなわたしが、『ああ、やっぱり母の娘だったなぁ』といましみじみ思う。質素倹約の本が書けるのでは?というくらい徹底していた母だった。いまわたしはそれを実践しているので、本当にお金を使わなくなった。『ムダなお金』をね。

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そして、3つ目。この方と結婚したい!!!と思うほどの衝撃だった方。おなじように考える方はほかにもいるようで、時々コメントにそんな内容があるらしい、笑。価値観の合う方と結婚されているけれどね。むしろ、そんな妻に興味がある。

それは、この方。三菱サラリーマン。

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30歳で会社を辞める!と入社式に考えたというツワモノ。意志の強さを感じる素敵な方。(お顔は見たことはありませんケド…笑)数々の金言を世に呈して、いまもなお自分だけの生き方を楽しみながら新しい芽を出し続けている。独特な考え方が楽しくて、あぁもっと早く出会いたかった…と思う方である。


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残りの命は30年?突然の母の死がわたしを決断させた

40代半ばまでにこの3つの出会いをして、目標をもった。53歳までに会社員を止めるぞ!!!お金の計算をして、これならいける!という金額をはじきだした。オットにも話した。それからは、ケチケチ生活が楽しくて仕方が無くなった。そんな折、2021年母が他界した。定年したら旅行に一緒に旅行しようなんて思っていたのに、まさかこんなことがあるなんて…。

わたしを30歳で生んだ母。これほど身近なひとであり、肉親である。『自分の死』をはじめて強く意識した。わたしはあと30年しか生きられないのか…と。むしろそれよりも早く亡くなる可能性も十分に考えられる。急に、毎日毎日会社に行く生活がとてもムダに思えてしまった。ムダというか、わたしの優先順位の下位に成り下がったのだ。すでにケチケチ生活を楽しんでいるから、お金は何とかなる。家もある。住宅ローンは払い終わっている。オットがいる。もう十分働いてきた。胸を張れるほど社会貢献もたくさんしてきたじゃないか。税金もいやってほど払ってきた!

もう、止まらないよね…。堰を切ったようにこの気持ちは走り出した。6月に母が亡くなり、9月末にオットに決意を話し、11月17日に上司に伝えた。12月28日が最終出勤、1月は有休消化。こんなスケジュールだった。決めたら即行動。わたしの得意技である。20年勤めた会社だった。

人生には限りがある優先順位を考えていく

誰の人生でもない、わたしの人生である。生まれて、学校で学び、はたらいて、定年を迎える。これは、日本の多くの人たちが選んでいるベルトコンベアー方式である。しかし、『会社を止める』は自分の判断である。はたらかない選択があってもいいのではないか?『寿退社』はしたことがない。子どもがいないから、産休育休も無い。会社のリフレッシュ休暇も無かった。長期で休むには退職しか選択が無かった。休むのではなく、会社組織を止めて自由になるというスタンスでいいと思った。40代で無職になってもいいよね♪

命の期限が30年とされたいま(勝手に自分で思い込んだだけ…笑)、優先順位の低いものはすぐにでも排除したい。だから、躊躇せずにやりたいと思うことはやっていこう。60歳をゴールにしている方より一足早く、『選択した人生』を歩いていく。一度、お金の計算をしてみることをすすめたい、笑。


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