【父とのわかれ・介護】母と最後の焼きそば/母の命日に思う/葬儀社をどこにする?

両親とのわかれ・介護

母の命日から3年、父もいない

母との突然の別れから3年が経った。昼には焼きそばを作った。父も居なくなってしまって初めてむかえたこの日。とてつもなく寂しくなった。

あの日を、1日の経過を思い出す。3年前の6月3日、在宅で仕事をしていた。前兆だったのだろうか。衝撃がいくつかあった。

1つ目。玄関前の4段ある階段が上り切れなかったこと。足が浮腫んでいた母は、父と一緒に接骨院でマッサージをしてもらっていた。往復歩いて疲れたのだろう。力尽きて階段に座り込んだ。

2つ目。昼を食べていなかった母と焼きそばを食べる。母が食べたのは8cmくらいの豆皿に乗せた、ほんの少しの焼きそばだった。

3つ目。キッチンに立つ母は、両肘をシンクについて体重を支えて洗い物をしていた。

あまりにも衝撃的で姉に電話をした。姉は母に電話をした。その数時間後、夕方に母は眠るように心臓が止まった。パニックになりながら姉に電話したとき、『予感をしていたから、そうだと思った』と言われた。思ったらすぐ行動をして心から良かったと思う。

救急車にはオットが乗り葬儀社を決める

自宅で眠るように心臓が止まった母を、父が見つけた。救命救急の講習を常に受けていた父は、すぐに心臓マッサージをした。119へ電話をして涙が止まらず、パニックで会話にならない。ただ、恐らく厳しいということは理解していた。だから、父とわたしは荷物をもって後から行くことにした。頼りになるオットが在宅勤務をしてくれていて本当によかった。

病院に到着して間もなく、オットから電話が来る。覚悟をしていたことだった。病院へ父とすぐに向かった。そこでまずやることは『葬儀社の手配』だった。何も準備はしていなかったし、母から話を聞いていなかったので、病院の葬儀社リストを借りた。しかし、聞いたことの無い葬儀社だったのと、思ったより金額が高いことにおどろいた。ふと思い出した看板があった。わが家から最寄り駅に向かう途中、『家族葬』をうたっているセレモニーホール。調べてオットが電話をしたら、すぐに手配をしてくれた。

家族葬に決める、火葬までの5日間

3年前はコロナ禍、真っただ中。姉家族とわが家だけで見送ることを決めた。これが、本当にいい選択だったと振り返る。親戚とは大して仲良くないし、友人に声をかけても感染症の心配もあった。これまではまだ家族葬はスタンダードでは無かったが、もうこれで行こうと決めた。担当の方が誠実で安心感があったのも良かった。

火葬場がとても混んでいて、5日後に決まった。そのため、毎日安置してある場所へ母に会いに行った。家にいると母との生活を思い出してしまい、涙があふれ出す。でも、棺に納めるものも選ばなければいけない。姉やオットとあれこれいいながら荷物を引っ張り出す。懐かしいものがたくさん出てきた。食欲は無かったが、母と行った思い出のお店へ姉やオットと行った。何よりも、いつも母がいたキッチンに立つことがどうしてもできなかった。

家族葬でやったこと

家族葬を選んでよかったことは、自由度が高いところだった。通夜や食事はせずに、ただ『母に会いに行く』ことができた。葬儀前には、シャンプーや清拭・湯灌、納棺をはじめて体験した。中学生になったばかりの甥もいい経験になったと思う。ばあばには、本当にたくさん遊んでもらったもんね。

見栄を張ることも、参列者に気を使うことも必要ない。それが家族葬である。わたしが一番良かったと思うのは、この5日間はしっかりと母との別れに向き合えたこと。家族以外が来るとなると余計な心配事が出てくる。ただでさえ、慣れていないというか初めてのことばかりであり、失礼があってもいけない。もし、参列者がいたらそちらに気を取られてしまい、荼毘に伏された後から後悔がたくさん出てきたと思う。

最低限の金額はかかるが、自分たちが良ければいいという選択ができるので、家族葬は後悔が少ないのではないか?と感じた。あくまでも『故人・母のため』であり、『参列者のため』ではないから。

家族葬選択して大変だったこと

参列者がいる葬儀が楽なのは、『香典』の扱いだと感じた。すべて当日に完結ができるから。ご近所の仲良しや習い事の友人たちへ連絡をしたら、皆さんで自宅に来てくれた。大変ありがたいことだった。わたしが知らない、外での母の姿を皆さんから聞けたことが本当にうれしかった。これは張り詰めた空気がある葬儀の場では得られなかったことだと思う。香典は『個人』であったり、『一同』であったり、供物もお持ちになったり…とそれぞれなので、『志』の準備が大変だった。何せ、初めましての方ばかりで顔と名前が一致しない。さらに言えば、記帳をして頂くわけではない。頼りになるご近所さんにあれこれ情報を聞いて、なんとか皆さんへ挨拶周りをした。その時にも、母の話を聞けてありがたい時間だった。

それでも、家族葬を選んでよかったと思う。父もその印象があったのか、通院途中で葬儀社の前を通ったとき、『俺も○さんに頼みたいな』と言った。『そのつもりだから安心して!』と笑って返した。そんな話をしてから半年も経たずにお世話になることになってしまったね…。○さんもとても驚いていたよ。

母と仲が良かった友人が、今年も供え花を持ってきてくれた。墓参りも行ってくれたそうだ。ムスメの私よりも頻度高く行ってくれている、笑。母さん、素敵な方が友人で良かったね。

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