予想外のサヨナラ
父の死因は『感染症』だった。まさかこんなにあっけないサヨナラになるなんて…。闘病生活は7ヶ月だった。
もし父が化学療法を必要とする病気でなかったならば、わたしは今だに病院に対して納得がいかなかっただろう。
『もし、あのとき感染症にかかっていなければ…』。
毎日、答えの出ない疑問を何度となく投げかけていたはず。さらには、『病院を訴えることはできないのか?』とオットや友人に聞いたり、知識がありそうな方を探していたかもしれない。結局は、ちゃんと読んでもいない入院時の誓約書には免責事項?が記載されていて、どうにもできないと思うけれど…。思い出しては、わたしに何かができたのではないか?と考え続けているだろう。
しかし、いまのわたしはそうではない。むしろ、それで良かったのではないか?さほど苦しまなかったよね?化学療法を受けなくてホッとしている。父には聞けないけれど、残されたわたしはそう考えている。
化学療法をどうするか…
父は亡くなったその日から、抗がん剤治療を開始することになっていた。亡くなる3日前に医師から説明を受け、わたしとオットと話をして、父が『やってみるか』と、決断をしていた。
検査入院をしたが、年末年始を挟むため結果が出るまでに時間がかかった。仕方がないことだけれど、もどかしい時間だった。
診断されたのは『悪性リンパ腫』。1番最初に行った近所の総合病院の検査結果でリンパに何かあると思っていたが、やはりそうだった。この診断までに半年くらいの時間を要した。大学病院でも入院する転院先でも恐らくそうであろうと言われていた。
オットとわたしは、年末、まだ検査結果が出る前に医師から今後の治療方針の説明を受けた。『悪性リンパ腫』である前提で…。ドラマや小説でしか知らない世界。まさか自分がこんな立場になるなんて…。さらに決める必要があったのは、『緩和ケア』を含めて最後までこの病院にお世話になるかどうかだった。ここで最後を迎えるのか…。
※以下の内容は、当時の記憶とメモをしていたもの。
治療にはいくつかの選択肢があった。
- 現在の治療を継続
- 化学療法Aを試す
- 化学療法Bを試す
AとBのちがいは、薬の種類。強いものからやるか、少し弱いものから様子を見て変えていくか、みたいなイメージ。
わたしが医師に聞いたのは3つ。
- 副作用は具体的にどんなものか?
- 治療にどんなリスクがあるか?
- 治療の選択によって余命は変わるのか?またその期間
丁寧な説明だった。
副作用は具体的にどんなものか?
毛髪の抜け、吐き気、免疫の低下
投薬してから1週間程度で脱毛がみられる。最近の薬は吐き気は改善されてきている。胃薬も同時に使用する。すでに行っている治療により免疫はかなり落ちているが、一定期間さらなる低下が想定される。この際に感染症の懸念がある。
わたしの祖母がそうだったように、退院間近だったのに肺炎で亡くなったのは、免疫の低下からなのだと理解する。
どんなリスクがあるか?
体力の低下、免疫の低下による感染症、誰もが期待する効果があるわけではない(やってみないとわからない)。どんなひとが効果が出やすいのか?と聞いたところ、データは無いが『体力と前向きに治療に向き合う心』がある方が効果があるかもしれない…と。
免疫低下は副作用にも通じるが、何よりも『やってみないとわからない』ということが心穏やかにいられなかった。半年前の父なら気持ちは明るく元気だったので良かったが、そのときは帯状疱疹の後遺症で痛みとの闘いが心身を弱らせていた。父は81歳という高齢のため、使用する薬の量は成人の1/2程度だという。やる意味があるのか…?
治療の選択によって余命は変わるのか?またその期間
現状の治療だと、現状維持のため数ヶ月の可能性がある。化学療法を選択した場合、1〜2年。(2〜3年と言われたかもしれないが、冷静で居られなかったため記憶が曖昧…)10年は難しいということか?と確認したら、『そうですね…』という答えだった。
医師は『予後』という単語を使った。オットは知っていたが、わたしは初めて聞いた言葉だった。
緩和ケアに関しては、お願いをすることにした。転院は父や家族にとって大きな負担を強いるから。病院によって方針や雰囲気が異なり、わたしは慣れるのが大変だった。
覚悟をしてはいたが、涙があふれて止まらなかった。命の期限まで、父は何をしたいだろうか?何を望むのだろうか?
この半年間で何度も聞いてきたが、父の答えは『自分の足で散歩ができればいい』だった。
長くなったので、つづきは次回にしたい。気持ちが落ち着いたら書こうとしたが、まだ落ち着いていないことがわかった…。
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