父がこの世を去り、1年が経った。時々、あの日を思い出すことがある。母がいなくなって寂しかったが、父とオットと3人で過ごした2年半はケンカもしながら楽しい日々だった。
年賀状が3枚届いた。山岳会を通じて父のことは伝えてもらったので、もう来ないと思っていた。しかし、届いた。
- 『山、いってますか?』と手書きの文字、名前に見覚えが無い
- 名前に聞き覚えのある、山岳会の方
- 『八十を過ぎると古いしきたりに~』と手書き&手作り版画
さて。どうするか。
電話番号が書かれた方に電話をしてみたら、すぐに出られて父のことを伝えられた。転勤族で最初に配属されたところで山岳会に入った。父がいた会だった。その後、転勤を繰り返し再度同じ山岳会に入ることがあり、それ以来、年賀状のやり取りはつづいていたそうだった。いまは子育てもあり、自由に登山はできていないとおっしゃっていた。いつかまた復活して欲しいな。
もう一人は、山岳会の方に調べてもらい元山岳会の方だとわかった。以前いただいたハガキを探したら、電話番号がわかった。留守電に何度か入れたか、まだ話ができていない。様子を見て、手紙を書こうと思う。
そして、もうひとり。元会員では無いとわかった。じゃあ、何の知り合いなのか?父は山岳会の方としか年賀状のやり取りはしていないと思っていた。さて、どうするか。
住所は…遠くない。電話はわからない。80代ということは父と同年代、手書きの文字がしっかりされている。手作り版画刷りということは、お元気でいるということ。いくつかの仮説を立てて、行ってみようと思った。ハガキを送るのは簡単だけれど、それで終わってしまうことを寂しく思った。手書きの文章を読んで、穏やかな人生を送られていると踏んだから、文句を言われるということはないだろう。
父の命日を行く日に決めた。暖かいおだやかな天気予報だったし、ほかの日は予定が埋まっていて来週以降になってしまうから。初めての駅に降りて、ちょっとした旅気分でマップを見ながら歩く。
迷いはなかった。
予定通り出発して、一本前の電車に乗れて駅に到着。徒歩数分で表札を見つけた。窓が閉まったのが見えた。あ!在宅だ!!!すかさずインターホンを押した。ひとの気配がして、男性が顔を見せた。
『毎年年賀状をいただいています○の次女、□と申します。父に代わり、あいさつに参りました。』
すぐに理解をしてくれた。写真を見せながら、ひさしぶりの再会を笑顔で迎え入れてくれた。数分立ち話をしていたら、奥さまが家へ招き入れて下さった。
要約するとこんな話をした。
- 20代前半で同期入社だった
- 会社の山岳会で何度も一緒に登山をした
- 3年ほど一緒にはたらいた
- 父と同じ歳
- それ以来、会った記憶は無いが年賀状をずっとつづけている
すべてが順調だった。1時間ほどお邪魔したあと、おしゃべりをしながら散歩に付き合ってくださった。思い出や現在、ご家族のこと。とても聞き上手で色んな質問をしては的確に答えて下さった。
『○さん(父)が不思議に思っているだろうね。ぼくとお嬢さんが一緒に歩きながらおしゃべりしてるなんて』
その言葉に涙が出そうだった。突然の訪問にいやな顔ひとつせず、うれしいと言ってくださった。父との再会はできなかったけれど、娘が代わりに会えたことを墓前に報告できること。遠いむかし話を、楽しそうにして下さったこと。わたしができることは全部できたと思った。
心に残る、命日だった。何度も読んでいる東野圭吾氏の『トキオ』っぽいねって思った。
あらためて手紙を送ろうと思う。大好きな旅のおみやげと共に。
父さん、良かったね。素敵な友だちに会ってきたよ。奥さまとお嬢さんと登山を楽しんでいたんだって。
人生の質を決めるのは、『ひととの出会い』だと思う。
そうそう。帰宅したら、2年ぶりに元同僚から連絡があった。『低山登山をはじめて、10キロ痩せました!ランチでもしませんか?』え〜!びっくり!笑。
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