哲学的な話になりますが…時々そんなことを考えたり、本を読んだりすることがあります。前は『不公平だなぁ』『平等じゃないよね』と口にすることがありましたが、最近は『意外と平等かもしれない!?』と思うようになりました。
母は、自分の人生に文句を言わないひとでした。思いは色々あり愚痴は姉に言っていたみたいなのですが、笑 それでもおかれた状況を嘆くようなことは無かったのではないでしょうか。かと言って、順風満帆な人生でも無かった。母の母(私の祖母)は『若い衆』や『女中』が家に何人もいるような家に生まれ育ったそうです。埼玉のいなかとはいえ、塀の終りが見えない家だったようです。タイムマシンに乗って行ってみたいなぁ。母の父(私の祖父)は、国立大学を出て銀行へ入行。いわゆるエリートですね。40歳で子ども(母たち兄弟)6人を残して、病気で他界しました。なので私は会ったことがありません。残念。一家の大黒柱を失った母たちはそれは苦労したでしょう。大学に行くこともなく就職し、その後父と結婚をしました。
私は産まれたときから大きくて、身長が168cm(ホントは169cm、笑)あります。これがずっとずっとコンプレックスでした。背の順に並ぶのも、クラスの一番背が高いひとが運動会のプラカードをもたされるのも、学期ごとにある健康診断もいやでいやで仕方ありませんでした。よく母に泣きついたものです。いまでもコンプレックスのままですが…与えられた(いまある)ものに感謝して生きなさいとよく言われていました。
さほど裕福ではなかったにせよ、ひと通りのものを買ってもらったり大学に行かせてもらったり。母は贅沢をすることはなく、時々、美術館や博物館へひとりで行ったり、友だちとお茶やランチをしたり、習い事をしたり、バス旅行や北海道旅行も行ったり、60歳を過ぎてから特に楽しんでいたように思います。何よりも私や姉、孫とハワイにも行きましたしね!
『しあわせってなに??』
あなたはどう考えますか?これをきちんと定義しておくことがたいせつ。自分の価値観でね。
母はこれが明確にできていたのでしょう。とても豊かに生きていたと思います。私はこの年になって、母が亡くなったことで気がついたしあわせ。日々残業し、目標達成に追われ、トラブルがたくさん発生した生活をしていたら、気がつけなかった。そのストレスをどうやって発散するかを考えるのが精一杯だったのですね。
長くなってきたので、次回につづく。つづきは、『自分のしあわせ』との向き合い方について。
コメント
うん、お母さんの笑顔大好き♡
人生に満足するとお母さんみたいなステキな笑顔になれるのかな…
いつか自分もこの世を終える、そんな事を現実的に考える時期になってきたね、私たちも^_^
だから尚更楽しく過ごさないとだね!